Profile

   所 属  SMBC日興証券(株)

   記 録  2m02(AR、NR)

   出 身  山梨県(駿台甲府高 - 筑波大学)


   役 職  日本パラ陸連 跳躍コーチ

        関東パラ陸上競技協会・副理事長 

                          山梨障がい者スポーツ協会 理事

                          山梨市観光大使

           

誕生

父がレーサーの「生沢 徹」氏が好きだったのと、一つのことに徹するよう「徹」と名付けられた。

5歳

5歳の時に「心臓病」と「吃音症」(どもり症)を患う。大人しい性格ながらもながらもスポーツが大好きな少年だった。



10歳

小学3年生から姉の影響で「バスケットボール」を始め、小学6年には友人が多かったことから「野球」を始め当時では珍しい球技の二刀流だった。

12歳

中学から「ハンドボール」を始め、『山梨北中』時代はキャプテンとして山梨県大会で2位。関東大会へ出場した。

18歳

高校3年の時に「全国選抜」、「インターハイ」と強豪の『香川中央高校』と対戦し初戦敗退。高校最後の『国体』では、香川中央率いる香川選抜と3位決定戦で当たり、3度目の正直で勝利。山梨県としては地元の『かいじ国体』以来の3位入賞となった。

ハンドボールの推薦で『筑波大学』が決まるも高校の卒業式の1週間前に自らが運転する車で交通事故を起こし、右足膝下11センチを残して切断。大学を1年間休学し、義足のリハビリのため「東京身体障害者福祉センター」(現 義肢装具サポートセンター)に入所。義肢装具士の『臼井氏』との出会いやリハビリがきっかけとなり、『陸上競技』を始める。

20歳

大学に入ってから本格的に『走り高跳び』を始め、陸上競技を開始してから3ヶ月で、シドニーパラリンピックの大会参加基準(1m73)を1cm越え、日本人初の走り高跳び選手として出場。

26歳

2006年のジャパンパラリンピックでは、2m00をクリアし義足選手としては世界で2人目となる2mジャンパーとなった。

35歳

 

  2016年のIPCグランプリ(ブラジル大会)では、『2m02』をクリアし金メダルを獲得。日本新ならびにアジア新記録を樹立した。2017年、2019年の世界パラ選手権では銅メダルを獲得。2022年からは選手兼任でパラ陸上・日本代表チームの「跳躍コーチ」に就任し、これまでの体験談を基に年間30以上の講演活動も行っている。